ページの先頭です

ここから本文です

前田利家

ソーシャルメディアへのリンクは別ウインドウで開きます

このページを印刷する最終更新日:2023年10月25日

ページID:83853

〈前田利家〉派手で奇抜な「槍の又左」。加賀百万石の礎を築いた武将。

前田利家

画像 荒子観音寺所蔵

プロフィール

氏名

前田 利家(まえだ としいえ)

中川区内のゆかりの地

荒子観音寺、冨士権現天満宮、前田速念寺

人物の紹介

 加賀百万石の藩祖といわれる前田利家は、天文6年(1537)、利昌の四男として現在の中川区に生まれました(天文7年説もあります)。幼名は、犬千代といい、十五歳のとき織田信長に仕え、元服して孫四郎利家と名乗り、信長の尾張統一戦の一つ萱津の戦いで初陣を飾りました。                                

 22歳のとき、10歳下のいとこ「まつ」と結婚。この頃、又左衛門利家と名を改めています。若年の頃は派手で、奇抜な振舞いを好み、武勇にも優れ「槍の又左」と呼ばれました。                                      

 桶狭間戦の頃は牢人していましたが、織田軍の中で参戦し、翌年の美濃攻めの戦功で復帰しています。その後は赤母衣(あかほろ)衆の筆頭として従軍、信長の上洛に従っています。33歳のとき、信長の命で荒子城主になります。信長の北陸戦略に従い、さらに石山本願寺戦にも参戦、武田騎馬軍団を粉砕した長篠の合戦では鉄砲隊を指揮しています。

 信長の政策により、府中(福井県越前市)を他の武将とともに治め、のち能登一国を領有します。                                   

 本能寺の変後の賎ヶ岳戦では柴田勝家側でしたが、優れた洞察力によって前田家を守り、豊臣秀吉を補佐する大名に成長、加賀百万石の礎を築きあげました。       

参考文献

『犬千代ルート』はっけん・たんけん・中川区まちの魅力発信隊、中川区役所地域力推進室

『中川区人物事典』とは

『中川区人物事典』とは、中川区で誕生や活躍などされたゆかりの深い偉人、有名人を紹介するものです。

中川区ゆかりの人物について、区民をはじめとする多くの市民に知ってもらい、人物を通して区の歴史や文化、産業を再発見し、地域への関心を高める目的で実施しています。

(注)掲載されている写真や文章等を、無断で転載、複写することを固く禁じます。

このページの作成担当

中川区役所 区政部地域力推進室区の特性に応じた地域の活力向上担当

電話番号

:052-363-4321

ファックス番号

:052-363-4316

電子メールアドレス

a3634319@nakagawa.city.nagoya.lg.jp

お問合せフォーム

お問合せフォーム

ページの先頭へ