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中区のなりたち

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このページを印刷する最終更新日:2009年1月21日

ページID:1937

ページの概要:中区のなりたちについてご紹介します。

名古屋の誕生

家康自ら指揮した築城と「清須越」

名古屋市内における中区の所在地

 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、その後藩政を敷き、尾張藩の藩主に松平忠吉を封じたが、早くなくなったので、改めて慶長12年(1607)に徳川義直を置いた。しかし義直は幼少だったため、家康自ら尾張の国づくりに着手。手始めに尾張の中心地をそれまでの清須から那古野(名古屋)に移すことを決定。福島正則らの大名に名古屋城の築城を命じた。築城工事は慶長15年(1610)から始まり、同17年(1612)にほぼ完成した。
 築城に伴い、武家はもちろん、町家、寺社、橋梁に至るまで、清須のまちすべてを名古屋に引越しさせる大移転事業を敢行した。
 家康自らが指揮したその事業は「清須越」と呼ばれたが、そこには関ヶ原の戦いには勝利したものの、まだ磐石とはいえなかった徳川政権を守る西の防衛拠点としての意図があった。
 ちなみに、江戸城築城はそれから11年も後の元和9年(1623)であることからも、これらが徳川幕府としての最優先事業であったことが分かる。

城下町の形成

10万人の大都市を築いた「碁盤割」のまちづくり

 名古屋の城下町は碁盤の目のように区画され、そこへ「清須越」の家々が引越しをした。その町割りは、城の付近には大きな武家屋敷を置き、外堀から南は商家を中心に寺社をところどころに配置。さらに外側には小身の武士の家や大きな寺社を置き、有事には寺社を砦にして武士が立てこもれるようにした。
 このような周到な計画により、まち全体が城塞としての役割を果たすとともに、武士、商人、職人などがそれぞれ同業種ごとにまちをつくり、戦火のない安定した経済活動がその後の反映の基礎を築いた。
 ちなみに、幕末頃の名古屋の人口は約10万人で、江戸、大阪、京都に次ぐ、日本第4位の都市であった。なお、「清須越」当時の碁盤割のまちのほとんどは現在の中区内である。

維新後の名古屋

明治31年の名古屋市は人口35万5,000人

 明治維新の後、新政府は地方を府、藩、県の3種に分け、名古屋を名古屋藩としたが、明治4年(1871)の廃藩置県により名古屋県とし、その区域を6大区90小区に分け、名古屋と熱田がその第1大区となった。さらに、翌5年、名古屋県は愛知県と改称され、尾張、三河を管轄することとなった。
 明治11年(1878)、大小区制が廃止されて熱田町が分かれ、名古屋は名古屋区としてはじめて独立した行政区となった。
 人口は明治11年には11万5,000人であったが、名古屋区が名古屋市となった同22年(1889)には15万7,000人となり、熱田町と小碓村の一部を合併した同31年(1898)には35万5,000人を数えた。

中区の誕生

商業を中心に発展を遂げた中区

 名古屋市が誕生して20年後の明治41年(1908)、市内を東、西、南、中の4区に分けて行政事務を行うこととなり、中区が誕生した。中区の当時の区域は現在の中村区下広井町一帯、水主町、中川区松重町辺りの堀川沿いを含む約6平方キロメートル、人口約15万人だったが、その後、周辺町村を合併し、大正10年(1921)の人口は約24万人を数えた。
 産業の発展ぶりも目覚ましく、明治36年(1903)の商法改正後、数年間で区内には衣食住、運送、新聞発行業など約50の会社が設立された。さらに、明治43年(1910)、当時は中区であった鶴舞公園で、第10回関西府県連合共進会が開かれると、その成功を機に、区内の産業は大いに発展した。

中区の発展

戦災を乗り越えてつくられた現代の「碁盤割」都市計画

 昭和20年(1945)8月に終戦を迎えた太平洋戦争での中区の被害状況は、全焼35,419戸、半焼1,251戸の計36,670戸で、全市の31パーセントを占めた。戦災面積は約59パーセントで全市の平均約24パーセントを大きく上回った。死者は693人、重傷者347人、軽傷者1,983人で、区内の被災者は全市の17パーセントを占めた。
 この痛手からの復興は、市民の協力を得ながら同21年(1946)から始まり、戦災の教訓をもとに同34年(1959)に開通した久屋大通りの2つの100メートル道路をはじめ、区内の街路は見事に復興した。
 その後、整然と区画された新たな碁盤割のまちに続々と会社や商業施設が建ち並び、現在の中区のにぎわいの基礎を築いたのである。

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