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史跡・伝統的風習

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このページを印刷する最終更新日:2010年12月2日

テーマ「史跡・伝統的風習」(「夢なごや400」応募作品より)

生玉稲荷神社の左義長(応募数4作品)

左義長のお神輿

「左義長祭 お神輿」
毎年2月11日、寒い時期に神社の左義長祭が行われます。厄落としの行事として、どんど焼き・神輿・餅投げが続き、孫達が餅拾いを楽しみにしています。
今は各地で行われていた左義長もほとんど行われなくなっていますが、生玉稲荷神社は未だに続けています。
これからも残ってほしい行事の一つです。
(小幡学区・水野克寛さん)

生玉稲荷神社

「厄年の集い」
生玉稲荷神社では、厄除祭が毎年2月に行われています。その祭などの手伝いを行っているのが、厄男の会の方々です。
地域の同年代が繋がり、そして地域への貢献、厄除祭での活動はとても素晴らしい伝統と思いました。
(西城学区・秋田洋子さん)

左義長の様子

「生玉稲荷神社の左義長・初午祭」
今年は厄年でした。近くに神社がないので、姉夫婦の住む家に遊びに行った時、参加した思い出があります。
雨の中、地元の人が沢山集まって賑やかでした。
毎月1日・15日にある朝市にも行ってみたいです。地元の人が作った野菜が並んで楽しいらしいですよ。
(豊橋市・石川敏行さん)

左義長の餅投げ

「生玉稲荷神社のお餅投げ」
いとこや友達と毎年参加してきました。いつも皆で遊んでいる神社は更に人が集まってにぎやかでしたよ。
つきたてのあんこときなこのお餅をほおばって大満足の子供達!
『パパやママは頑張って私たちのために飛んでくるお餅を取ってくれたよ。子供用にうまい棒のお土産ももらえたの。ママ、また神社のきつねさんがいるお餅つきに行こうねー♪』
(小幡学区・長谷川美月さん)

郷まつり(応募数2作品)

郷まつりの行列

「大森郷祭」
大森郷祭りの起源は江戸時代からと古く、昭和34年まで豊作の年を選び10年に一度の大祭として実施されてきました。この歴史ある戦国時代を思わせる華麗な行列は「大森合宿」と呼ばれ、大森が近在10ヶ村を召集し5000人と言われた行列で龍泉寺へ豊作祈願の奉納をしたのが始まりです。
時代の変遷に伴い規模も縮小する事となり、昔の伝統ある大森合宿を後世に伝えるため、現在の大森郷祭りとなりました。
(大森北学区・松田康子さん)

棒の手の行列

「伝統の担い手」
大人が子供に伝統の文化を引き継ぐことの大切さが、この郷祭りに現れ、「いざ出陣」が伝わってきます。
(守山学区・鈴木克美さん)

弘法様

弘法様のお接待

「弘法様」
4月21日(戦前は旧3月21日)を弘法大師忌として巡持する行事。宿の人達が作った団子や菓子をお供えし、老若男女を問わず参拝者を接待する。
昨今では、区画整理が進み、各戸が移転したりしてお接待をする宿が少なくなった。地域に根付いた古き良き風習を末永く伝えたいと思います。
(志段味東学区・菅谷民子さん)

志段味の古墳群(応募数7作品)

横穴式石室内部

「横穴式石室」
白鳥1号墳 円墳横穴式石室
大正年間に発掘調査が行われ、若干遺物が採集されたが詳細は不明。1961年に調査され、馬具・武具・須恵器が出土。
西に向けて開口する石室は、原形をほぼ完全に残す。市内で唯一見学できる。市史跡指定。7世紀前葉に築造された。
(志段味東学区・上林光之さん)

白鳥1号墳入口

「白鳥1号墳」
東谷山の麓、庄内川を見下ろせる大地の上に立地している六世紀後半の古墳。直径17m、高さ3.5mの円墳で、石室は全長9.8m、最大幅1.6mの平面徳利型・無袖式の横穴式石室。
原形をほぼ完全に残す石室としては市内唯一のもので、昭和36年の石室内部の調査では須恵器・土師器・馬具・直刀・刀子・鉄鏃などが出土。平成7年、市の史跡に指定されている。
(大森北学区・上野正道さん)

中社古墳の円筒埴輪列

「円筒埴輪列」
東谷山山頂の中社古墳
前方後円墳。全長55m。発掘調査中に出土した。高さ70cm・直径30から40cmの円筒埴輪5本。
円筒側面に三角穴があり、4世紀後半のもので県内最古級。
(志段味東学区・上林光之さん)

白鳥塚古墳石碑

「白鳥塚古墳」
東谷山麓西側に位置する前方後円墳。全長約105m、高さ約6m。古墳時代前期のもので、原形をほぼ保っている。昭和47年、国の史跡に指定された。
墳頂に白色石英が葺石に用いられ、その美観が白鳥に似ているところから、白鳥塚の名で呼ばれるようになったとも言われている。
(大森北学区・上野正道さん)

西大久手古墳の人形埴輪

「人形埴輪」
帆立貝式前方後円墳。墳長27m 西大久手古墳の周濠より鶏型埴輪などと発掘された人物埴輪が出土。
巫女をかたどったとみられ、祭祀で使われた可能性が高い。
東海以東で最古。5世紀中期のもの。
(志段味東学区・上林光之さん)

西大久手古墳の鶏形埴輪

「鶏形埴輪」
帆立貝式前方後円墳。墳長27mの周濠より人物埴輪などと発掘された立体的なもの。
(志段味東学区・上林光之さん)

西大久手古墳の馬形埴輪

「馬形埴輪(鞍)」
帆立貝式前方後円墳。墳長27mの周濠より発掘され、東谷で最古のものとなった。
西大久手古墳出土。5世紀中頃のもの。
(志段味東学区・上林光之さん)

その他様々な史跡

樋門に集う水鳥

「彩の水辺」
庄内川から堀川へ庄内用水の取水口として元杁樋門が現存している。
明治43年(1910年)に築造された貴重な施設で、当時の舟運びや水利に土木技術を伝える建造物である。
(瀬古学区・後藤守男さん)

餘慶之碑

「餘慶之碑”先祖に感謝”」
この碑は、村人のために善行を尽くした先祖の功績を称えて大正8年に建立されたもの。余(餘)慶とは、先祖の善行の積み重ねのお蔭で子孫が幸福になれることを意味しているという。出典:易経「積善之家必有余慶」
自分さえよければいい、今さえよければいい、そんな風潮の世にあって、我々の思考や行動がやがて全てを破壊し、子孫が住む世界を壊してしまいかねない。先祖から受け継いだこの財産を守り育てる努力こそ、我々の責務であると思う。小さくてもよい、善行を積み重ねことに努めたい。
(苗代学区・近藤克行さん)

区役所前道標

「守山区の街道」
守山区の街道として思い浮かぶのは、竜泉寺街道・千代田街道・瀬戸街道でしょうか?
昔のこちらの街道を人が行き来していたようですが、今は車、車、くるま…。しかし、この街道の名称は今後も残していきたいですね。
(小幡学区・岡田泰治さん)

茶臼山古墳

「歴史を感じる崖」
茶臼山古墳は、自衛隊の官舎の隣にあり、都会にはない自然を感じることができます。
この写真は学校の登下校の時に通る道にあり、初めて見た時に魅力を感じたので、他の人にも見てほしいと思いました。
(北区・山本彩椰さん)

小幡長塚古墳

「守山区の史跡」
守山区には市内の古墳の約6割があるため、古墳めぐりの散策など、自然を楽しめる守山を未来に残していけるようにしたいです。
(小幡学区・岡田修さん)

守山区から長久手へ向かう武将達

「戦国武将の通り道」
あまた戦国武将の出身地の名古屋は、合戦の舞台にも関係しとるなも。小牧長久手の戦ん時は守山区はその間で、竜泉寺には家康の陣があったげな。小幡ん辺りはさしずめ通り道だわな。
徳川の家康さがお馬さんにまたがらっせて、かっぽかっぽと進軍しやぁたはずだで、こりゃあロマンだわなも。「この葵の御紋がお目々に入らんのかあ。」だぎゃあ。
(多治見市・木村光伸さん)

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守山区役所区政部地域力推進室区の特性に応じた地域の活力向上担当

電話番号

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