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第4章 愛知万博での挑戦 ―社会貢献と自己実現―

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このページを印刷する最終更新日:2015年8月31日

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第4章 愛知万博での挑戦 ―社会貢献と自己実現―

前回のあらすじ

第3章では、古橋さんが「まちづくり」に関わる重要な転機となったアラスカ留学と、「まちづくり」に足を踏み入れたときのことを語ってもらいました。ここからは、前章でも少しだけ話題に出た、愛知万博(愛・地球博)での活動と、そこで見えた課題意識について深く掘り下げて語っていただきます。

 

談笑する古橋さん

本編

司会:

先程少しお話しが出ましたが、愛知万博にも関わられていたんですよね。

古橋:

そうですね。我ながら、忙しい学生生活でしたね(笑)。まるで勉強してないみたい(笑)。

司会:

愛知万博では何をされていたんですか?

古橋:

僕は、大学院生という立場でまちづくりに関わっていたんですが、大学院に入学する際に、万博にも関わることをイメージしていました。瀬戸でまちづくりをするわけだし、そこで起きるビッグイベントを意識するのは当然でした。でも、どうやってかかわるかは全然分からなかったし、ルートも何も見えていなかったというのが正直なところです。だから、すべては本当に必然のような偶然に導かれていたのだなぁと思います。

当時、僕らが始めた商店街のカフェ・マイルポストのアイデアは、アラスカの地図だけでなくて、Begood Cafeという東京のNPOからもインスピレーションをもらっていました。当時のBegood Cafeのウェブには、「素敵にいいことはじめよう」ってかっこいいコピー。そして、コラムには、「フランス革命はカフェテリアから始まった」という一文がありました。「ん?」と思って読み進めると、当時の革命の軍師たちは会議室ではなくてカフェで作戦会議したっていうんです。革命って社会を変えることです。革命時、世の中を変えようってディスカッションは、会議室ではなくて、盛り場でありカフェで行われた。そして、その屋根裏部屋で、チラシを刷って社会運動に繰り出して行ったってことです。

司会:

ほう。

古橋:

つまりカフェがSocial Hubになっていて、人・金・情報などが集まってきて、創発したものがまた発信されていく。そういう有機的なことが産業革命やフランス革命の頃に起きていた。それが社会を動かす原動力だったんですね。そしてその中心にカフェがあった。これは、おもしろい!そこで、現代にもまちづくりの発信拠点としてのカフェがあったらいいなと思ったので、瀬戸で始めちゃおうと。

そして、しばらくして、あれは、2003年ごろだったでしょうか。東京からの影響を受けて、「Begood Cafe名古屋」が立ち上がるらしいという噂が聞こえて来たので、僕もその集まりに参加してみたんです。しかし、よく話を聞いていると、どうやら、Begood Cafe東京の中で万博プロジェクトが立ち上がり、愛知万博に出展するらしいということが判ってきました。

 

議論の様子

(港区西築地学区ではオープンなまちづくりの議論が増えている。)

古橋:

愛知万博のプロジェクトのコンセプトは、循環型のライフスタイルをみせるカフェの提案で、企画自体は面白い。しかし、愛知万博って開催までに17年間もの調整期間があって名古屋のNGO/NPO界隈ではかなり批判的にとらえられていたんですよね。ですので、「Begood Cafe名古屋」に関わっていた名古屋のNGO/NPOの人たちは、万博反対派が多かった。しかし、万博の開催は決定的でした。そこでBegood Cafe東京は、環境を破壊する万博には反対、でもそれにNoを唱えるだけじゃなく、開催されてしまう万博の中にこそむしろ飛び込んで、自分達が正しいと思うライフスタイルの提案を行っていこうというスタンスでした。しかし、地元はそう簡単に割り切れない。

そうこうするうちに、Begood Cafe万博プロジェクトどころか、「Begood Cafe名古屋」の本格始動も見えなくなってしまいました。これはどうなるんだろうと思っていたら、「君、元気ありそうだな。」って声がかかったんです。僕は、万博反対ではないというか、それほどの知識はなかったのもありますが、立場的にはもう少しフラットだったので、Begood Cafe東京の考え方にシンパシーを感じていました。どうせやるなら楽しくやろうよって感じぐらいですが。

 

伝統芸能関係者とのコラボレーションの写真

(名古屋の伝統芸能関係者と地域の子どもたちによるコラボレーション。)

古橋:

で、その後も、話し合いに参加することになるんですが、そもそも生意気でおせっかいですから、プランに実現可能性がないと感じると、つい「それできないと思いますよ」って言ってしまうんですね。「これは東京のプロジェクトじゃなくて名古屋のプロジェクトですよね?地元のみんなが反対しているのに、どうやってやるんですか。まず受ける母体がないじゃないですか」って。そしたら色々と僕に返ってくる。怖いですね。時間が過ぎていく中で、プロジェクトも進めなくちゃいけないので、僕は「こうしたらいい、あぁしたらいい」って提案すると、じゃあやってみたらいいということになる。一時は名古屋組では、僕以外にやる人がいないような状況にもなりましたが、不思議なことに失敗するとかのイメージは、かけらもありませんでした。

僕らが参加した地球市民村パビリオンは、国家プロジェクトだったんです。博覧会協会の主催事業を博報堂が受託して、日本の老舗のNGO/NPOを30団体集めて、5団体ずつ6か月で1か月ずつ交代する、それぞれの団体の海外パートナー団体も入れると全部で108の団体が関わる巨大なパビリオンでした。NGO/NPOは、参加型で「楽しく学べる」プログラムが提供されて、多い日には、一日1万人を超える来場者がありました。そうしたパビリオンを国と企業とNGO/NPOという3つのセクターで運営するんですが、3者の協働は、まさに社会実験でした。NGOの方々は、非政府/非営利組織ですから、基本的には「No」が強い。それを企業の博報堂さんが統制しようとすると、「お前らが国を悪くしたんだ」って糾弾が始まる。全然話し合いになっていかない。驚きました。

他方で、お客さんはといえば、NGO/NPOが扱う切実なイシューとかはどっちでもいいという感じ。モリゾー&キッコロの帽子をかぶって、飢餓対策をテーマにしたNGOのパビリオンの前に立っている。そんなお客さんに、どう対応すればいいのか。その場を誰がつなぐのか?そこにコミュニケーションが始まらなければ、メッセージは何も伝わらない。一番あくせくして、慌てたのは、現場の人たちでした。その中心が、僕らに歳の近い、ボランティアや若手の職員の人たちだったんです。

 

防災の取り組み

(地域における防災の取り組みを企画。)

古橋:

NGOやNPOが職業になり始めたのは、まだまだ最近のこと。僕の尊敬する人で「NGOは社会を変える道具だ」って言った人がいたんですが、そうした世代の人からするとNGOは「生き方」なわけです。でも、生き方を貫く時代は大きく変わりつつあり、これからは生き方を伝えあい、互いを理解し合って行く時代。NGO/NPOの活動には、多くの理解者が必要なわけで、万博はとてもいい機会でした。単に自分がどれだけ大変なことをやっているか、それがどれだけ大切なイシューなのかを一方的に伝えるのではなく、それがなぜ大変で、どう解決したらいいと考えているのかを理解してもらい、今はまだ客さんでしかないその人の具体的なアイデアや行動を導きださなければならない。それが、理解や支援を得るということだからです。

しかし、NGO/NPOのある種の人たちは、そこを語り、つなぐ言葉をもっていませんでした。PRはPublic Relationで、関係性をつくっていかないといけない。それは、叩くことでも糾弾することでもありません。むしろ戦うべきは、既成概念にとらわれている己自身なのだと思いました。もちろん、その己は、僕自身のことでもあるなと思いました。いろいろ学びの深いプロジェクトでした。

イシューに立ち向かう形で誕生するNGO/NPOには、ミッションがありテーマがありますが、そこに所属する人たちが考えているのは「私はどうありたいのか」ということだと思います。そこには、社会貢献と自己実現をどのようにして結びつけるのかという課題があります。しかし、この課題は、何もNGO/NPOの話だけじゃないはずです。生き方を働き方に変えて、自分の仕事をつくり出していくことは、誰にとっても重要な課題だと感じましたね。

司会:

いろいろ体験されてきたんですね。

 

次章へ続きます。 第5章 これからの「まち協」

 

目次

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