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平成26年4月7日 市長定例記者会見

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このページを印刷する最終更新日:2015年7月24日

ページID:58798

報告事項

会見動画

報告内容

◎還付金詐欺について

 それでは、4月7日(月曜日)の会見を始めたいと思います。おはようございます。

 

 まず、区役所職員などをかたって、医療費や保険料の還付をすると言いながら、ATMでお金を振り込ませる詐欺が続発しております。

 

 不審に感じられまして、「詐欺ではないか?」と市へ相談してくるケースが毎日のようにありますが、中には振り込んでしまったケースもあります。「お金を返すからATMへ行け」というのは、詐欺ですので。

 

 また、電話だけでなく、訪問してくるケースもあるようです。見知らぬ人からの訪問にもご注意ください。不審な電話や訪問があったら、1人で判断せずに、消費生活センターか最寄りの警察署にご相談をください。

 

 消費生活センターの番号は、平日は「222-9671」「222-9671」。それから、土日は「222-9690」、土日は「222-9690」。いずれも受け付けは午前9時から午後4時15分ということですので、そういう電話とか訪問がありましたら、ぜひご相談をいただきたいと思います。

 

 だいぶ被害も発生しておるようですので、お気を付けをいただきたいと。こうした詐欺は一切許されません。当たり前のことですが、マスコミの皆さまにも、ぜひ市民の方への注意喚起をお願いをいたします。

 

◎徳川美術館・名古屋市蓬左文庫 春季特別展 歿後250年記念「徳川宗春」の開催

 それから、本日は、徳川美術館・名古屋市蓬左文庫春季特別展「歿後(ぼつご)250年記念『徳川宗春』」の開催について、ご報告をいたします。

 

 尾張徳川家7代藩主ということで、宗春さんは尾張藩主の中で最もよく知られた、人気の高い殿様です。

 

 当時、8代将軍吉宗が「享保の改革」で、質素倹約、緊縮政策を推進する一方で、宗春は、積極的な経済政策や開放的な文化政策によりまして、名古屋に空前のにぎわいを呼び込みました。

 

 実際の吉宗さんというのは、会ったこともございませんけれど、よう言われとるのは、享保の改革というのは、幕府内部、行政改革ですね。今言えば。内部を厳しくするのは当然ええですけれど、庶民まで質素倹約を言ってしまったために、大変な不景気になったと。

 

 確か、有名な話では、かんざしを女性は挿してはいかんという。この話が確かあったと思いますけれど、かんざしを挿してはいかんといいますと、かんざし職人がみんな失業してしまいますのでね。そんなことで、それに異を唱えて。

 

 これはあまり書いてありませんが、今の私たちから言うと、四公六民だったんです。あのころは、税金というのは。4が公で、6が民間。それを五公五民に増税したと。この松平健さんならぬ吉宗さんはですね。

 

 それに対して、そんなとろいことをやっとってはいかんがやと。庶民が楽しんで初めてじゃないかと、政治は。ということで、それに戦ったのが、この尾張の7代藩主の宗春さんということで、何が言いたいかは分かってみえるか分かりませんけれど、税金を上げんように、減税をするということは、大変なことなんですよ。いつの時代にも。

 

 特に江戸時代でやるということは大変だったということですが、結局、中には経済運営に失敗したとか言う人もありますけれど、最近は、そうでないと。尾張藩の持っとった、いざ事あらば京都、天皇家をお守りしろと。江戸幕府というのは、尾張藩はもともと家康直系ですので、九男ですのでね。どえらいプライドを持っとって、何だというのがあったわけですわ。

 

 そういう気持ちでクーデターを計画しとったという話もあり、そういうことで、結局は失脚させられたという説が。私もそっちの説を取っております。

 

 昔、ちょっと本会議で質問されたときに、あのころはまだそこまで勉強がいっておりませんでしたので、タカ狩りと称して、結構軍事演習をやっておりますので、そういうお金が大変かかったんではないかということを申し上げましたけれど、最近の研究者によりますと、今言ったようなことを言っております。

 

 失脚の原因は、経済政策の失敗ではないと。やっぱり天皇家をお守りしようと。幕府ではなくて、というところにあったんだと。それに家老たちのいろんな思惑も加わりまして、なってしまったということでして。

 

 大体初めのころにすぐ蟄居(ちっきょ)を命じられたのは、ちょうど国立病院の、ちょうどここら辺です。この向こう側のところで、その後、下屋敷だったかな。今の、あそこの、東生涯学習センターのある辺を一帯として、あそこにずっと25年間、蟄居させられて、亡くなられたということで。

 

 そのときに付いていったのが、私のところの先祖だということも申し上げておきますけれど、そんなことです。

 

 ここに書いてあるのは、しかし、当時の幕府や尾張藩の重臣たちには、宗春の政策は理解されず、政策を全うすることなく、8年余りで退任させられ、25年に及ぶ幽閉生活の後、亡くなりました。

 

 展覧会のチラシにも、「稀代(きだい)の名君か 異端の暗君か」とあるように、宗春の治世についての評価は大きく分かれておりまして。

 

 これは、宗春やその時代の名古屋についての資料の発掘・研究が十分に進んでいないためでもありますが、名古屋にもたらした希有(けう)な繁栄が、その後の名古屋の経済、文化の発展の基礎になったことは、違いありません。

 

 この「徳川宗春」展を、名古屋市蓬左文庫におきまして、4月12日(土曜日)から5月25日(日曜日)まで開催いたします。市民に大変人気の殿様ですが、宗春一人を取り上げた展覧会は今回が初めてです。

 

 まとまって紹介されることのなかった、尾張徳川家に遺(のこ)されました宗春ゆかりの品々を一堂に会し展示します。今回の展覧会が、資料の発掘や宗春再評価の出発点になることを期待しております。

 

 なお、「徳川宗春」展の詳細につきましては、名古屋市蓬左文庫ホームページをご覧ください。市民の皆さんはもちろん、全国の皆さんにも宗春さんを知っていただきたいと思いますので、ぜひお越しください。

 

 ということで、ちょっとしゃべってもらいますが、私が勉強したところでは、この宗春さんのちょっと後になりまして、尾張藩はどうもクーデターを計画しとらせんかという話があって、尾張騒動といいますけれど、北町奉行を中心とするどえらけないぎょうさんの人が突然名古屋に来まして、何人か逮捕して連れていったということで。

 

 1人は獄門打ち首になっております。それから、あと2人は獄中で死んでおります。うちの先祖も拷問を受けたけれど、それは耐えたということになっておりますが、それからどうも名古屋は、その本によりますと、大変にぎょうさんの幕府の御庭番、スパイが尾張藩に入っておりまして、それから尾張の人間になるというのを若干隠すようになったと。

 

 だで、名古屋の言葉も、河村さんの名古屋の言葉がきれいとか、汚いとか、とろいことを言ってはいかんぞと言っとるの。何を言っとりゃあすと。大阪に行って、大阪弁がきれいとか、汚いなんて言ったら、みんなとんでもないことになりますよ。

 

 だから、その地域に、名古屋、尾張藩、尾張名古屋というものに対する、今こそこの300年の怨念を晴らさないといかんという、非常に重要な局面にあるということを申し上げておきたいと思います。ということで、蓬左文庫の偉いさまから、ちょっと。

 

(当局:このたび、徳川美術館蓬左文庫に伝わっております宗春関係の資料を一挙に公開をいたします。ぜひこの機会に皆さんに見ていただきたいということです。

 

 チラシにもありますが、宗春さんの着用されました甲冑であるとか衣装の類いというのは、非常に奇抜で大胆なものがございます。この機会に、実際に本物を見ていただくということによりまして、その宗春さんの一つの性格といいますか、信条といったようなものもお分かりいただけるのではないかと思いますし、また、一方で、殿様としての幅広い教養を知っていただくような展示品もございます。

 

 ぜひこの機会に、今までですと、どちらかというと吉宗の敵役のような形で取り上げられておりますが、全国の皆さまにも知っていただきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。)

 

 大変に繁栄したようですよ。本当に、この尾張藩というのはね。だけど、やっぱり厳しいわね。江戸時代ですから。その点、名古屋は減税といって力んでおりますけれど、別に逮捕はされませんので。

 

 逮捕されるどころか、あれは法律が平成18年に変わってですね。それまでは、実質上、起債ができないということで、実質上、減税はできなかったんです。地方は。平成18年に法律が変わって、ようやく減税ができるようになったと。

 

 その趣旨は、当時3300ありました地方自治体がみんな同じ税金はおかしいじゃないかと。行革をした成果を、市民の皆さんに減税というふうでお返しすることは大変ええことじゃないかという趣旨でできたんですよ。それを、非常に順法精神にあふれたこの名古屋が、もうちょっと評価されないといかんですわな。どうなっとるんだということです。

 

 ぜひお越しをいただきまして、宗春さんの治世をひとつ。あのときは法人税がなかったでいかんわね。商売が盛んになっても、法人税がないもんだで、これはちょっといかんということがあったんだろうと思います。

 

 以上です。

 

質疑応答

◎陸前高田市との都市間協定について

(記者)

 陸前高田市と都市間協定を締結されるとのことですが、締結の内容や締結の時期、今後のスケジュールについて、お聞かせください。

 

(市長)

 今年2月、戸羽市長さんがおみえになって、そのときに、ここまで名古屋と陸前高田と非常にフレンドリーにやってこられましたので、一つ何かというお話はあったんですわ。姉妹都市か兄弟都市かというようなお話もありまして。

 

 この間、あれでしょう。文書を付けていなかったか? 陸前高田の市議会におきまして、戸羽市長が演説された中にですね。確かあったで、ちょっと読みますわ。

 

 陸前高田市議会における戸羽市長さんの演説の中に、「現在、教育委員会において『絆協定』を締結している名古屋市との間で、姉妹都市ならぬ兄弟都市の協定締結に向けた取り組みを推進してまいりたいと考えております」というふうにおっしゃっておられまして、こちらも、その温かいハートフルなお言葉をいただいて、準備を開始しとると。中身はこれからですけれど。

 

 名古屋は、初めてみたいですね。他の都市は、姉妹都市とか何とかいうのを結構、ちょろちょろあるような話がありますけれど、名古屋市は初めてでして、姉妹都市というより兄弟都市の方がええんでないかと。

 

 兄弟分が取りあえずええんでないかなと思っていますけれど、そのネーミングも含めまして、内容もこれから検討して、両方で相談してやっていくということです。

 

 検討会議というのが書いてありますけれど、検討会議を設置させていただくということになっていますので、この検討会議はつくるわけね。

 

(当局:はい。またこれから、向こうと調整したいと思っています。)

 

(市長)

 そうですか。早うやってちょうよ。

 

(当局:はい。)

 

(市長)

 30年もかかってはいかん。検討会議をつくらせていただきまして、中身を詰めさせていただいて、また発表したいと思います。

 

 (記者)

 今のに関連して、時期としてはいつ中をめどにというふうな予定でいらっしゃいますか。

 

(市長)

 3カ月か半年かと。こういう話だでね、そう、別にめちゃくちゃ急がんでもええけれど、両方でいろいろ相談しながら、楽しい名前をつくってみたりということだで、そうめちゃくちゃ短くして、味気のないやつをやる必要もないと思うんで。一般的に言うと、3カ月か半年ぐらいじゃないの? どうだ?

 

(当局:これからの検討になりますので、じっくり先方とやっていきたいと思いますので。)

 

(市長)

 と、お役人殿は言っておられます。ということですけれど、常識的には3カ月か半年ぐらいだ。ちょうどな。雰囲気が。暖かくなって向こうへ行って。

 

 ぜひ本当にね。ちょうどマスコミの皆さんがいますから。私もこの間行きましたけれど、今、陸前高田に行きますと、いいホテルができましたので。本当に、山のちょっと、中腹のところに。そこから、自然の残酷さと恵みというのが両方見えますわ。

 

 本当にまちがなくなっていますので。ようけの人が亡くなったと。おびただしい涙もありますけれど、反対に、広田湾のカキを、もうそろそろ。カキのいかだもだいぶありましてね。自然というものは、恵みをもたらしてくれるけれど、また反対にどえらい残酷なものだなということがよく分かりますで、ぜひいっぺん行かれるとええ。ホテルへ行かれるといいですよ。

 

 それと同時に、山を。あれは何川と言うんだったな。川に隣接する山を1個、崩しとるんですわ。ごぼっと。そこを、トラックも使いますけれど、ベルトコンベヤーで、その山のところから直接。川をまたいで(土砂を運ぶ)。かさを、大体、10メートルまではいきませんけれど、7メートルぐらいだったかな。かさ上げする工事をやっていますので。すごいものが見えますよ。今行くと。

 

 自然の残酷さと、自然の恵みと、もう1つ、文明の力というか。だから、非常にそういう面では。それで、窓がちょうど向こう側(海側)を向いていますので。ホテルの窓が。ぜひ行かれるとええなと思います。

 

 ありがたいことに、名古屋から来たと言いますと、非常に感謝されますので。本当にありがたいお話ですけれどね。若干は皆さんも。そんなこと、威張っとってはいかんですけれど、もっと応援しないといかんなと、もっと仲良くなるとええなというふうに気になりますので、ぜひ陸前高田に行かれるとええと思います。

 

(記者)

 もう1点だけ。今のに関連して。協定を結ぶことで、今までの関係にプラスして、何か具体的に盛り込もうと思っていらっしゃる内容はありますか。

 

(市長)

 1つは、何とか、合コンでないけれど、できんかしらと思ってね。合コン。陸前高田の、どっちが女性か分かりませんけれど。そういうリクエストが結構ありますよ。

 

 だけど、陸前高田の女性をこっちへ連れてきてまってはいかんで、だで、反対のパターンかどうか分かりませんけれど、名古屋の独身の男もようけおりますので、何とか合コンできんかと言っとるんですけれど、なかなか実現に移されておりませんので、どうやしらんというのが1つあります。

 

 それから、中学生の交流。絆協定でやっていますけれど、あれももっと深めて、ぜひ、名古屋の中学生にとって、一次産業ね。要するに、カキをつくっとるところとか、それから、キクラゲがなかなかええでといって(陸前高田)市長が言ってみえたんですけれど、そういう体験をしてくると。これは大事なことですよ。

 

 名古屋でゲームセンターばかり行っとってはいかんぞと。ゲームセンターに行かんか。最近、うちの中でやればええであれか分からんけれど、そういうのを。

 

 それから、産業が、全体としてもっと交流が深まっていくとええなと。名古屋の、どこか工場でもやっとる人が、陸前高田でいっぺん工場でも造ってもらうとですね。そういうふうにならんかというふうに思っていますけれど。

 

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