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大須コース詳細
大須観音(おおすかんのん)
寺号は真福院、院号は宝生院。真言宗智山派の寺院。
もと美濃の大須にあったのを、慶長17年(1612)、名古屋開府のときに家康の命により現在地へ移された。
真福寺(大須)文庫は、国宝の古事記をはじめ貴重な蔵書が収蔵されている。
所在地:中区大須二丁目21-47
七寺(ななつでら)
正式寺名は、稲園山正覚院長福寺。真言宗智山派の寺院。天平7年(735)、行基によって開創された。
「7歳の亡児の菩提にちなみ七堂伽藍を建立した」故事により七寺と称された。
大正19年(1591)、清洲城畔に移建、慶長16年(1611)、現在地に移された。昭和20年の戦災で国宝の「本尊・阿弥陀如来像」と「本堂」を焼失したが、その後再興された。脇侍の「観音・勢至菩薩像」「一切経」は無事で、現在は立派に補修され再建本堂に本尊然として併座安置されている。国の重要文化財。
所在地:中区大須二丁目28-5
富士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)
祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。明応4年(1495)、後土御門天皇の勅命によって、駿河の浅間神社から分霊を勧請し、まつったという。
明治を迎えるまで富士山観音寺製寿院という寺の鎮守であったが、廃仏毀釈でこの神社だけが残った。供水に使った井戸水は柳下水として有名だった。
所在地:中区大須二丁目17-35
大光院(たいこういん):明王殿
曹洞宗の寺院で慶長15年(1610)、清洲から移された。赤門、明王さんとして知られる寺院。
境内・明王殿にまつる烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)は一切のけがれや悪を浄める霊験あらたか。特に女性の病気にご利益があるという。
毎月28日の縁日は大変なにぎわい。
大須・赤門通という地名は、この寺の赤い門に由来する。
所在地:中区大須二丁目7-25
陽秀院(ようしゅういん):紙張地蔵
曹洞宗の寺院だが、境内にまつられるお地蔵様の信仰で知られる。これは、境内の石地蔵に濡らした紙を張りつけて祈ると、地蔵が代わりに病苦を受けてくれるという地蔵信仰で、寛永年間の霊験談が現代にまで生きているもの。
24日の縁日には参詣者が多い。
所在地:中区大須二丁目15-7
春日神社(かすがじんじゃ)
「春日社」「春日大明神」ともいい、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭神とするこの神社は、朱塗りの社殿が色鮮やか。名古屋地方には数少ない「春日さん」のひとつ。
創建は天暦3年(949)と伝えられ、尾張藩2代藩主・徳川光友出生のとき、生母・於尉の方が祈願したとも伝えられる。
奈良の春日大社に模して作られている。
所在地:中区大須三丁目46-34
万松寺(ばんしょうじ)
天文9年(1540)、信長の父・信秀が織田家の菩提寺として、現在の桜天神社あたりに創建。慶長15年(1610)、名古屋城築城のとき現在地に移転した。
大正元年に境内の大部分を開放したため、大須の繁華街が拡大された。
身代わり不動、白雪稲荷、御深井観音などもまつられており、仏足石もある。
所在地:中区大須三丁目29-12
三輪神社(みわじんじゃ)
もと三輪大明神、三輪社と呼ばれたこの神社は、小林城主・牧長清が大和の三輪明神を勧請したもの。8代藩主・徳川宗勝をはじめ歴代藩主も崇敬し、供米が奉献されていたという。矢場の地蔵とよばれ親しまれた。
境内には秋葉社、天王社、福光稲荷があり、名古屋市指定保存樹のクスノキ、ムクノキが茂っている。
所在地:中区大須三丁目9-32
清浄寺(せいじょうじ):矢場地蔵
創建は元禄13年(1700)、地蔵がまつられたのは翌年14年(1701)といわれる。
明治のころまでは矢場の地蔵、延命地蔵と呼ばれ、8月24日の縁日などは群参で混雑した。このあたりはもとは小林城跡。
剣豪の柳生連也の隠居地があったりして、境内もまた広かった。境内に芭蕉の句碑が立つのはその名残。
所在地:中区大須四丁目1-74
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コンテンツ掲載日 平成17年4月4日|修正日 平成19年5月21日
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