ページの先頭です

ここから本文です

令和元年度被災地支援リポート -陸前高田市・気仙沼市- 3月分の記事

ソーシャルメディアへのリンクは別ウインドウで開きます

このページを印刷する最終更新日:2020年4月10日

ページID:126434

令和元年度被災地支援リポート-陸前高田市・気仙沼市-

令和2年3月2日(月曜日)

 みなさんこんにちは、気仙沼市下水道課災害復旧係に配属された職員です。

 私は平成30年度から区画整理地内における下水道施設の設計、施工及びそれに係る調整業務など主に魚町・南町地区、通称『内湾地区』を担当しております。

 今年度の気仙沼市での出来事をご紹介します。

 次の写真は気仙沼市を令和元年9月6日に撮影したものです。

気仙沼市の写真

 

 地震で被災した宮城県気仙沼市の造船会社4社が合併した新会社「みらい造船」の新工場が完成しました。

 職場の屋上から見えるこの施設は、東北運輸局によると、漁船専門に修理、建造する造船所としては東北で最大級とのことです。

 シップリフト方式を採用して、船をエレベーターのように垂直に上昇させ、台車で水平移動する方式で、船体の損傷リスクを回避できるほか、作業効率が向上、大型船10隻もの作業が同時にできます。気仙沼市は漁業が盛んな町であり、カツオやサンマの時期には毎年たくさんの船が港に入ってきます。

 船をつくり、船を点検・修理して燃料補給までできるのは強みであり、漁業に携わる関係者に航海の安心・安全をもたらし、東北の漁業を支える施設となりました。

 次の写真は内湾に係留された第1号船の写真です。

第1号船の写真

 内湾地区にある五十鈴神社が所有する「2代目恵比寿像」が海底から引き揚げられました。(令和2年1月14日)

 東日本大震災で行方不明になっていましたが、神明崎浮見堂の再建工事中に、偶然、付近の海底で発見されました。

 3代目恵比寿像の制作は完成しており、今春完成予定の浮見堂と共に披露される予定であり、発見された2代目恵比寿像は五十鈴神社境内に設置される予定です。

 大漁祈願や航海安全の神様「おえびすさん」として親しまれ、気仙沼市民を温かく見守り続けてくれます。

 次の写真は「おえびすさん」の写真です。

おえびすさんの写真

 他部所との打ち合わせに訪れる気仙沼市役所第二庁舎は、明治42年に建築され約110年経過しております。

 旧小学校を利用した市役所として日々大勢の職員が所狭し机を並べて働いています。

 秋には大きなイチョウの木が色づいて、明治にタイムスリップしたかの様な景色がとても綺麗で好きな場所なのですが、耐震基準を満たしておらず市民が訪れる施設にも関わらず危険な状態にあります。

 このままでは大規模災害時に対応の拠点施設としての役割も果たせず、市民の避難場所としても建て替えが急務となっています。

 気仙沼市は東日本大震災の大規模被災地として一刻も早い復旧・復興が求められる状態であり、その業務に専念してきました。間もなく、復旧・復興業務も10年目に入り、各事業に一定の目途が立ってきたこともあり市役所の移転をすることを決めました。

 震災後から止まっていた時間が動きだして、復旧・復興事業も終わって来たと感じた出来事でした。

 次の写真は気仙沼市役所第二庁舎を撮影した写真です。

気仙沼市役所第二庁舎の写真

 東北地方は旅行でも来たことはなく、今回の震災復興支援業務に携わる派遣職員としてはじめて来ました。とても不安な気持ちもありましたが、気仙沼の方々がとても親切で温かく接してくれたのを思い出します。

 東北地方全体に言えることですが、豊かな自然が多く、海、山、川と四季折々の景色を楽しむことが出来ました。雪の中をディーゼル列車で温泉を巡る旅もいい思い出です。

 市役所の裏にある安波山を散歩していると、道を塞いだニホンカモシカとにらめっこ。まったく人間を恐れていないのでかなり近づいても逃げません。東山動植物園で何回も見たことはありますが近くで見ると迫力があります。次の写真はニホンカモシカの写真です。

ニホンカモシカの写真

 川の上流域から山に入り、どんどん沢を登っていくと人が踏み込まない動物たちの自然が広がっています。

 釣り竿を振ると綺麗なヤマメやイワナが相手をしてくれて楽しいひとときを過ごすことができました。次の写真はヤマメの写真です。

ヤマメの写真

 自然は恵みを与え、幸せな時間を与えてくれますが、時に厳しく人々に猛威を振るいます。

 東日本大震災も1,000年に一度と言われる未曽有の災害であり、沢山の方々が亡くなりました。

 気仙沼の方々との話で、過去に何度も津波被害に遭ってきた三陸地方に伝わる言葉「てんでんこ」を耳にしますが、「各自」、

「めいめい」の意味があります。

 「津波てんでんこ」は、「地震がきたら、一刻も早くめいめいが高台に逃げろ」。

 「命てんでんこ」は、「自分の命は、なんとしてでも自分で守れ」。

 過去の地震・津波の際に、家族や知人を助けに戻ったことで避難が遅れ、多くの方が亡くなった事実があるからです。大きな地震が起きたら各自てんでんばらばらに逃げることで、結果として皆が助かるという意味が込められています。

 二人の子供を持つ親としては、なかなか割り切れない気持ちがあり、とてもモヤモヤします。

 しかし、「いつ自分の身に起きてもおかしくないという心構え」を持つことが重要であり、まわりの人々と「てんでんこ」に込められた思いを共有することだと思います。

 もうすぐ3月11日が来ますので、防災グッズの確認、避難場所・経路の確認、災害時の連絡手段など家族で話し合い、家族がバラバラの時に災害にあっても笑顔で会えるように「思い」を共有しましょう。

 これからも、被災地を応援する皆様方のあたたかいお気持ちが被災地の皆様の笑顔と街の復興に繋がると信じています。まだまだ復興には時間がかかりますが気仙沼市への応援を引き続きよろしくお願いいたします。

令和2年3月23日(月曜日)

 陸前高田市復興局市街地整備課に派遣され、3年目を終えようとしています。

 さて、今泉地区の区画整理事業は、かさ上げ5(33画地)を10月6日に引渡しを行った後、12月末から年明けにかけて、かさ上げ2(31画地)、4(28画地)、6(15画地)、1011(14画地)の宅地の引渡しを終えました。3月15日に本年度最後のかさ上げ7(36画地)の引渡しを行いました。

 来年度は、かさ上げ1、3、12、平地部を完成させ宅地引渡しは、完了します。

今泉地区土地利用計画


 全体工事は、本年12月末の完成を目指しています。

 こちらはかさ上げ2から7の全景写真です。

 最初の写真は2019年9月17日撮影で、2枚目の写真は2020年3月18日に撮影したものです。

2019年9月17日撮影のかさ上げ2から7の全景の写真
2020年3月18日撮影のかさ上げ2から7の全景の写真
 

 こちらはかさ上げ4の全景を撮影したものです。

 最初の写真は2018年4月18日撮影で、2枚目の写真は2020年3月18日に撮影したものです。

2018年4月18日撮影のかさ上げ4の全景
2020年3月18日撮影のかさ上げ4の全景


 こちらはかさ上げ7の全景を2020年3月15日に撮影したものです。

2020年3月15日撮影のかさ上げ7の全景


 こちらは諏訪神社の階段全景を2020年3月18日に撮影したものです。

 神社には津波水位のプレートがあります。

2020年3月18日に撮影した諏訪神社階段全景の写真
津波水位のプレートの写真


 高台4の南側に、今泉コミュニティーセンターも出来上がりました。こちらの写真は2018年3月18日撮影したものです。

今泉コミュニティーセンターの写真


 3月のJRのダイヤ改正にあわせて、今泉地区にも「BRT」の駅が出来ました。 こちらの写真は2018年3月18日に撮影したものです。

今泉地区のBRTの駅の写真

令和2年3月25日(水曜日)

 みなさんこんにちは。陸前高田市教育委員会管理課に派遣されている事務職員です。

 早いもので、令和元年度も終わりが近づいてきました。私も3年間という長い期間を陸前高田市で過ごさせてもらいました。美味しい食べ物、豊かな自然、温かい住民の方々、すべてに感謝しつつ令和2年度からは名古屋市に戻り働きます。余談ですが、今年度は全国的に深刻なスキー場の雪不足などがあり、趣味のスノーボードを思う存分楽しむことができませんでした。必ず来年の冬も東北のスキー場にお邪魔したいと思います。

 さて、以前に私は市の総合交流センターや高田小学校の建設に関わらせていただいていることをこのリポートで掲載しました。

 それらの建設、また高田小旧校舎の取り壊し工事が完了し、現在は市立小学校へのエアコン設置、トイレの洋式化、また、仮設運動場の原形復旧など、教育委員会で行う様々な工事業務を承っております。その中で仮設運動場の原形復旧工事について少しご紹介を。震災後、各小中学校のグラウンドには仮設住宅が緊急避難的に設置され、住居を失った住民の方々が住まわれていました。

 そこで、子どもたちが使用するグラウンドを確保するため、住民の方が所有する土地、主に田んぼを借用して仮設グラウンドを整備していたところです。宅地、住宅の整備が進み、仮設住宅からの住民の方の移転が行われたことで仮設住宅が撤去され、本設のグラウンドの使用が再開されました。そのため、不要となった仮設グラウンドを元の田んぼに復旧する、ということになります。地権者の方々には長い間ご自身の土地が利用できずご不便をおかけしたため、なるべく良い形でお返しできればと思っています。

 次の写真は、令和2年1月中旬時点での米崎小学校の仮設運動場原形復旧工事の写真です。

令和2年1月中旬時点での米崎小学校の仮設運動場原形復旧工事の写真
 陸前高田市においては、先に述べた住宅整備が進んだことを始め、道路整備や公共施設の整備等もいよいよ大詰めとなっております。最後まで見届けられないことは残念に思いますが、なによりも陸前高田市の復興が一刻も早く完了し、我々のような災害派遣職員が不必要となることが一番だと感じています。教育委員会の派遣業務は完了となりますが、令和2年度も名古屋市からは職員派遣がされますので、引き続き応援よろしくお願いします。

令和2年3月31日(火曜日)

 陸前高田市市民協働部税務課に派遣された職員です。住民税の賦課業務を行っております。

 派遣期間は1月頭から3月の中旬までで、配属先では、住民税賦課業務の協力として、課税資料の入力や確定申告や住民税申告の受付業務を主に行っています。

 住民税賦課事務の協力で派遣されたとはいえ、名古屋市と仕事のやり方も違っており、申告の内容も名古屋市では珍しい農業や漁業の収入ばかりで最初はかなり戸惑いました。しかし、陸前高田市の職員として仕事をすることで、仕事の知識をはじめに、仕事の取り組み方についても考えることも多く、自分の中の考えを改めるきっかけとなりました。

 初めての東北の地での生活に最初は不安なこともありましたが、寒さが厳しい気候に対して、職員をはじめに陸前高田市民の方はとても優しい人たちばかりで、すぐに馴染むことができました。

 岩手県は美味しい食べ物や名湯も多くあり、観光に事欠かないため、仕事だけでなく私生活でもとても充実した日々を過ごせました。

 外出がはばかられるご時世ですが、落ち着いた時には改めて岩手県に観光しに行きたいです。このレポートを読んだ方も陸前高田市をはじめとした岩手県各地に観光して頂ければと思います。

陸前高田駅から見える風景

令和2年3月31日(火曜日)

 みなさんこんにちは。陸前高田市市民協働部税務課に派遣された職員です。

 陸前高田市の冬はとても寒いものでした。乾いた空気や頬を刺すような冷気を感じる日々でしたが、これまで経験したことがないためか、新鮮で心地よく感じるときがありました。冬が終わり春の陽気を感じると嬉しい反面寂しい気持ちになります。

 私は、1月から3月にかけて税務課に派遣され、新年度の住民税課税に向けた業務に取り組みました。1月は給与支払報告書の受付、2月と3月は確定申告と住民税申告の受付です。私の中で、この申告の受付業務が特に印象に残っています。漁業所得や農業所得、譲渡所得、山林所得など、名古屋市では珍しい事例を扱うことができたこともそうですが、多くの市民の方と接することができたからです。陸前高田市のみなさんは、派遣職員に対して温かい声をかけてくださり、震災についてお話しもしてくださいました。震災についての生の声を聴き、心に穴が開いたように感じましたが、みなさんの復興に懸ける想いや温かさに触れ、非常に元気付けられました。

 派遣後初の休暇は、東日本大震災津波伝承館に行きました。昨年9月に開館した伝承館は、奇跡の一本松のすぐ近くにあり、あたりは数多くの工事車両が行き来し、伝承館に隣接した道の駅では、地域でつくられた多種多様な特産品が販売されています。震災の爪痕がまだ残る部分もありますが、着実に復興に向かっていると思いました。

今泉地区から見た復興の様子1
今泉地区から見た復興の様子2

このページの作成担当

名古屋市被災地域支援本部(防災危機管理局危機対策室)
電話番号: 052-972-3585
ファックス番号: 052-962-4030
電子メールアドレス: a3585@bosaikikikanri.city.nagoya.lg.jp

ページの先頭へ