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タモリさんが歩いた熱田神宮界隈

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このページを印刷する最終更新日:2017年6月18日

タモリさんが歩いた熱田神宮界隈

平成29年6月17日(土曜日)にNHK総合で放送された番組「ブラタモリ」でタモリさんが熱田区を歩きました。熱田神宮や七里の渡しなどを通じ、熱田の歴史を感じていただけたと思います。

今回、タモリさんが訪れたところ以外にも、熱田区の歴史を感じられるものがたくさんあります。

タモリさんが歩いた熱田神宮や七里の渡しの近辺から、熱田区の意外な歴史やエピソードを知ることができるものをいくつかご紹介します!番組とあわせて、熱田区の歴史をより感じていただければ幸いです。

熱田神宮の近辺

神宮周辺の地図

(1)都々逸(どどいつ)発祥の地碑

都々逸発祥の地碑

寛政12年(1800)宮宿に開店した鶏飯屋という茶屋に、お亀とお仲という美声の女中がいました。関東の潮来(いたこ)節を自己流にアレンジした「ドドイツ・ドイドイ」という独特の節回しの唄で評判を得たといいます。

「殿々逸節根元集」によれば、彼女たちが唄ったこの神戸節が江戸でも評判となり、いわゆる都々逸というジャンルを新たに拓いてルーツとなったといわれています。

(2)徳川家康幼時幽居跡

家康幼時幽居跡

天文16年(1547)、家康がまだ竹千代と呼ばれた6歳のときに、岡崎から駿河の今川氏へ人質に出されましたが、その道中で捕まり、織田氏の人質として織田信秀へ送られました。家康は熱田の豪族、加藤図書助に預けられ、2年ほど幽居しました。

建物自体は戦災で焼失してしまいましたが、跡地には表札が建っています。

(3)裁断橋・姥堂

裁断橋・姥堂

小田原の合戦の際、18歳で病死した堀尾金助の供養のため、母が願いをこめて東海道筋に架け替えたといわれる裁断橋の擬宝珠(市指定文化財)に刻んだ碑文が有名です。擬宝珠の実物は名古屋市博物館に保管されています。

七里の渡しの近辺

七里の渡し地図

(1)熱田魚市場跡

魚市場跡

中世、熱田は伊勢湾に面していました。寛永10年(1633)には尾張藩が木之免と大瀬子を中心に魚市場をつくり、魚問屋などができ魚の供給地として約400年も栄えていました。江戸期には、仲買や小座は数千人に達したといいます。
大正12年(1923)に中央卸売市場案が公表され、反対運動などが起きましたが、昭和24年に中央卸売市場ができたことで、熱田魚市場は閉鎖されました。
現在は競り(せり)が行われていた場所に、熱田魚市場跡のモニュメントがあります。

(2)東海道道標

東海道道標

宮の宿場にはいる伝馬町の西のはずれ、もとの神戸町とT字形になった三叉路に建っています。ここは、江戸時代に東海道と名古屋・美濃街道(中山道)との分岐点として重要な地点でした。
現在は、本来の位置と少し違う場所に移ってはいますが、寛政2年(1790)に建てられた実物で、当時の雰囲気を感じることができます。

史跡散策路

熱田区の史跡を散策していただくお供に、5つのコースを掲載した史跡散策路を作成しています。

ホームページにて見てご覧いただけます。また、区役所で配付もしておりますので、ぜひご活用ください!

関連サイト

6月17日放送分の全体概要はこちらからご覧いただけます。

名古屋コンシェルジュ(PC版)(外部リンク)別ウィンドウ

名古屋コンシェルジュ(スマホ版)(外部リンク)別ウィンドウ

6月10日放送分(中区)及び6月17日放送分(西区)についての記事もこちらからご覧いただけます。

タモリさんが歩いた五条橋界隈(西区

タモリさんが歩いた名古屋城界隈(中区)

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熱田区役所区政部地域力推進室地域力推進係

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:052-683-9421

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